集合住宅Rakete及びその周辺


今回ザグレブまで足を運んだ二つ目の理由
それは現地の集合住宅を観たかったこと。
旧共産圏だからこその集合住宅デザインを観たかった。
結果、デザインの素晴らしさは期待どおりとしてとても興味深い事も併せて分かった。

日本の団地風景と共通点も多かった。

食料品店は中央広場や近隣に隣接する。
この日は祭日だったため何処も閉店していたが(カトリック国では日祭日に商店は閉まることが多い)
日本の大規模集合住宅の構造と似ているのが分かった。
一方で、利便性を考えれば国は関係なく当然かもしれない。
収益性を考えても当然でここ以外もこうしたケースが多かった。

また、こうした建物群は1960-70年代にかけて建築ラッシュを迎えたため現在老朽化が起きている。
大規模修繕を行なってる建物もちらほら見かける。
住民の高齢化も併せて起きているように見えた。
これも日本の都市部と同様の現象だ。

建物と建物の隙間には子供たちが遊べるように公園があるのも興味深かった。
遊具が設置されているも老朽化もところどころ起きておりこれも日本と同様。

こうして歩いていると東京の郊外や名古屋辺りにいるような不思議な錯覚に陥った。
全くの異国なのに不思議だった。

ただ、やはりカフェ文化があるため一階部分にカフェを併設してる建物も多く
老若男女がゆったりとした時間を過ごされていた。
こういう風景はあまり日本になく真似できたら需要もありそうだなと思われた。

因みに写真の集合住宅はRaketeという名の施設。
Vjenceslav Richter (ヴェンツェスラヴ・リヒター)という有名なアーティストのデザイン。
三本の建物のコントラストが美しかった。
Vjenceslav Richter氏の芸術作品はザグレブ市内の美術館でも展示されているそう。

ザグレブの集合住宅群はどれも美しかった。

クロアチア共和国モスラヴィナ人民革命記念碑

 
思うところがあり、旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、現クロアチア共和国首都ザグレブと郊外を訪ねた。
とても素晴らしかった。
 
誤解を受けやすいが、もともとイデオロギー的に深く関心がある訳ではない。もっとシンプルに東欧の旧共産圏、旧ユーゴスラビアやブルガリア周辺のバルカン半島の町なみや建築、造形にここ数年惹かれている。
そもそもは従来から好きだった日本の団地や給水塔と似た匂いを感じるところが発端かもしれない。
コンクリートで、無機質で、近未来的な「あの匂い」に何故かとても惹かれていた。
 
日本という国は不思議で、表向きはもちろん標榜してないはずが、様々な面で社会主義国、全体主義国的な雰囲気を持っていると思っている。良くも悪くも国民性だったり、行政構造だったり、美的センスだったり、建築様式だったり。本来日本は立憲君主制に近いはずなのにとても興味深い。
 
もちろんそうした雰囲気は戦後革新系の空気が作ったそれほど古くない文化なのかもしれない。それでも、旧共産圏の国々の持つ空気と重なるものが我が国には少なくない。団地や給水塔や炭鉱、人気の軍艦島、工場夜景などはその典型で、今では多くの日本人にとってノスタルジアをくすぐる存在ですらある。本当に不思議だ。
 
そうした背景の中、特に気になっていたのが旧ユーゴスラビア、クロアチア共和国の周辺の建築や造形。特にspomenik と呼ばれる記念碑群が気になっており、「モスラヴィナ人民革命記念碑」は自分にとって特筆する存在だった。
三年前あたりだったか、旧共産圏の建物について調べてるうちにその存在を知り、最初、その姿に衝撃を覚えた。こうした凄まじい造形物が世の中にあるのかと思った。
独裁者として知られながら、国民たちからはすこぶる愛されるという一面を持った当時のチトー大統領。犠牲となったパルチザンたちへの慰霊を込め作った墓標であり、祈念碑。とにかくずっと気になっていた。そしてこの目で、自分の目で見てみたいと強く思うようになっていった。
 
そうしたうち、本気で現地へ行ってみようと言う気になった。
衝動かもしれない。その後しばらくして航空機のチケットを押さえ、無理言って休みを確保し、ホテルを手配した。レンタカーを借りることを考えたが、満足に言葉も遣えず、また、現地で困ると思って今回はガイドの方をお願いした。運よく親切な方に知り合え、交通手段も手配いただけた。あとは行くだけだった。
 
2025年6月某日 朝。
旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国
現クロアチア共和国、ザグレブ郊外、ポドガリッチ。
モスラヴィナ人民革命記念碑。
歴史に失礼にならないよう、花を携え、手を合わせた。
 
私たちの他に人の姿はなく、とても静かな場所だった。
本当に来たんだという、現実味のあるようなないような不思議な気持ちがした。
記憶になってからリアルを感じるパターンになると思った。
素晴らしい場所を訪れたのだなと思った。
しばし佇んで写真を撮った。
 
案の定、このときの余韻は
帰国したいまでも残っている。