もうずいぶん昔のことになるが
「泡姫」と恋をしたことがあった
今更いうまでもなく 泡姫とは世に言うソープランド嬢のことであり
たかまった男達を慰めるプロの総称でもある

彼女たちと恋をする話、というのは別に特別な話でもなんでもない
彼女たちも素顔は当然、普通の女性達だからだ

今になって思うと
僕はそこへ何を求めに行っていたのだろう

10年程前になるだろうか
何かに取り憑かれたように ひとりの女性のもとへ
何度となく足を運ぶようになっていた
女の名前は Y子といった

僕は当時から何処となく淋しげな雰囲気に自分を埋没させるのが好きだった
それはそんな空間が 自分にある種の安堵感をもたらすからであり
そんな僕にとって彼女と過ごす数時間は
まさしくある種の安堵感を与えてくれるものだったのである

ある日、ベッドにねそべっていると
吸っていた自分の煙草を 僕の口に銜えさせながら
Y子は僕の耳元に 囁いた

「ねえ、なんでアタシをいつも指名してくれるの?」

本当のことを云っていいものかと、ちょっと考えた後
「うーん、なんでかな。強いて云うなら、リアリズムのない淋しさがあるからかな」
僕は そう答えた

ぴちゃん、という蛇口から水滴の落ちる音が
その独特な湿った空間を一瞬支配していたのを記憶している
彼女はカビの生えた天上を見上げながら笑い出し
「おもしろいひとだね、アンタ」
と ひとこと僕に云った

「そうかな?」
「そうだよ そんな風に答える人 いまどきいないよ」
「そうか、やっぱり 綺麗だから とか答えるのが普通なのかな」
戸惑った僕をみながら Y子が微笑んだ
「キザだね アンタ。でもアタシそういう人 好きだよ」
僕たちは声もなく 笑ったように思う
僕は彼女の胸に顔をうずめ 静かな鼓動を聞いていた

Y子との交際が始まった
交際とは言っても 出会いがそんな場所だったせいか
あまり緊張感のあるものではなかった
正直なところ そもそも彼女には その持ち合わせた雰囲気に惹かれていたのであって
セックス自体に興味があったわけではなかったし
彼女が僕に求めていたのも やはりそういうことではなかったように思う
僕たちは2週間に1回ほど二人で会い
食事をしたりする そんな生活を楽しむようになっていた

ところで そんな関係になってからも
僕は彼女の店にも顔を出していた
彼女との 別空間の共有を維持していたかったのである

そうしたある日 突然彼女から電話がきた
そろそろ会いに行く頃だったのだが
たまたま風邪を引いて 自宅で寝ていたときだった

「元気?」
「元気だよ ありがとう ちょっと風邪引いちゃってさ 休んでるんだ」
「そうだったの だいじょうぶ?」
淋しげな雰囲気が受話器の向こうから伝わってきた
僕はそれがいつもと違うことを感じていた
もともと淋しげな女だったが 今日の雰囲気はいつもとどこか違っていた
「あのね、」
どうしたんだ?僕が云おうとしたとたん 彼女の声が途切れた
「ううん やっぱりいいや また電話するね おだいじに」

彼女の声を聞いたのはそれが最後だった

彼女は店をやめていた
電話をしても 番号がかわったらしく
むなしいアナウンスが聞こえるだけだった

それから2年ほどして彼女から手紙が届いた
消印は札幌になっていた

あなたに黙って引っ越してしまって 本当にごめんなさい
ちゃんと云おうと思ったのだけど
アナタならこういうのも楽しんでくれるかなって思ったのです
サヨナラをいうのも なんか永久に会えないみたいで嫌だったしね

アタシは今 札幌の看護学校に通っています
実はあのとき お父さんが倒れて 実家に戻らなくてはならなくなったんです
アナタに電話したのは 本当はそれをいうつもりだったんだ

家族がみんな病院で集まったんだけど
その時 看護婦さんの仕事をみて
ああこういうのもいいな って思って
それで今更ながら
こんな生活してるってわけです
ずいぶん回り道しちゃったけど これからは地道に生きていこうと思ってます

東京でアナタに会えたこと すごく楽しかった
また いつか何処かで会いたいなって思っています

時節柄 健康には注意して下さいね
お元気で Y子


結局僕は彼女に何を求めていたのか
今になっても判らない

あれから10年以上の月日が流れた
性風俗の姿も当時とはずいぶん様変わりし
あまり興味がなくなってしまった今の僕だが
都会の片隅に煌めく ネオンが目にはいると
何処かにY子がいるような気がして 引き込まれそうになることがある
月並みな表現かもしれないが
あれは夢だったのかと思うと切ない気持ちに包まれるのだ

僕はきっと心の何処かで 今もY子を探している
それが実は自分自身を探していることなのかもしれないと 疑いながら


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